関東もようやく梅雨明け。
景色に向日葵が似合う季節になってきました。
仕事前にさっと期日前投票へ寄り道。
普段はファッションにおける、どんな色を着るか、どんな素材を好むか、どのブランドを扱うか。
そういう「選ぶ」ということについて考えることが多いのですが、
今日は少しだけ、その「選ぶ」という意識を、選挙のような、別の選択に向けてみます。
日々の選択は、誰かに見せるためのものではありませんが
選んだ先にあるものには、自分の考え方や癖、そしてささやかな願いがにじんでいる気がします。
たとえば、軽やかな服を選ぶとき、
“心地よい関係性”を求めていたり、
美しい造形に惹かれるのは、その調和に安心を覚えるからかもしれません。
日本製のものを自然と手に取ることが多いのは、“どこで、どんなふうにつくられたか”という背景に、
敬意を払いたいと思っているからです。
グラデーションを楽しむように、選択にもニュアンスや揺らぎを大切にしたい。
白か黒かではなく、そのあいだにある“どちらでもない”という柔らかな立ち位置も、選びのひとつだと思います。
そう思うと、社会との距離感にも、少し似た感覚があるように感じます。
大きな声を出さずとも、静かに選ぶという行為に気持ちを込めてみる。
ファッションでも、暮らしの中でも、そしてほんの少しだけ、日常を取り巻く社会との向き合い方においても。
選ぶということには、「どうありたいか」という姿勢が自然とにじむのだと思います。
と、帰り道、ほんの少しだけ、そんなことを考えてみました。
Kosoko